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記者が語る宮森小ジェット機墜落 血だらけ男児、黒焦げ遺体、泣き叫ぶ親

  • 2018年6月17日
  • 12:15
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取材時の思いを語る当時の記者ら=16日、うるま市立石川地区公民館
取材時の思いを語る当時の記者ら=16日、うるま市立石川地区公民館

 1959年6月30日に旧石川市の宮森小学校や周辺住宅地に米軍戦闘機が墜落した事故やその後の遺族らを取材した記者を招いた座談会が16日、うるま市立石川地区公民館であった。「NPO法人石川・宮森630会」が主催。元記者らは、先生が負傷児童を運ぶ現場やわが子の遺体を見て泣き叫ぶ親の様子など惨事を振り返った。





 前原署で一報を聞いた元沖縄タイムス記者の池原善福さん(84)はいち早く宮森小に駆け付けた。警察の規制線をくぐり抜けると「現場はまるで爆撃に遭ったようだった。教頭は血だらけの男の子を抱きかかえて職員室に向かい、先生と思われる男性は泣き叫ぶ子どもたちを(中庭付近の)お宮前に集めていた」。校舎の一角に設けられた安置所の前には、まだ自分の子が見つからない親や親族らが思い詰めた表情で集まっていた。「安置所には黒焦げになった小さな塊が5、6体あった。遺体や遺族を見ながら胸が詰まる思いだった」と苦しさをにじませた。





 元琉球新報記者の上原直彦さん(79)と森口豁さん(80)は一緒に現場へ向かった。上原さんは、焼けて男女の区別も分からなくなった子の遺体を見た母親の様子が忘れられない。「わが子を抱いて号泣する姿を見た時、悲しみよりも怒りが湧き、身の毛がよだつ思いだった」。カメラのシャッターを切り続けたが、米軍のMP(憲兵)に「フィルムを出せ」と銃を突き付けられたとも明かした。





 森口さんは事故翌日、本土の新聞はAP通信社の配信記事として掲載したと説明。「外電ニュース扱いで、日本のマスコミの沖縄に対する向き合い方の象徴的な事例だった。この事件を機に沖縄に記者を置かないといけないと、各社の支局ができ始めた」と推測した。





 ほかに、事故後40年で米軍機の整備不良が原因だと明らかにしたフリーディレクターの土江真樹子さん、50年で遺族や体験者らを取材した沖縄タイムスの天久仁さん、琉球新報の比嘉基さんが登壇した。





 





 


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