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102歳「忙しいよ」現役で畑仕事 沖縄・名護の新崎康信さん

  • 2018年4月15日
  • 06:15
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「あと2本立てれば柱は完成する。次は横棒を組み立てるよ」と話す新崎さん。後方の柱は完成間近のナーべーラー棚=名護市真喜屋
「あと2本立てれば柱は完成する。次は横棒を組み立てるよ」と話す新崎さん。後方の柱は完成間近のナーべーラー棚=名護市真喜屋

 「もう夏になるからナーべーラー(ヘチマ)棚作りで忙しいよ」。真喜屋ダム後方にある通称「キナバル」で、小さな体、腰にコルセットを巻いた姿で畑仕事に精を出す102歳のお年寄りがいる。沖縄県名護市真喜屋区の新崎康信さんで、四輪電動車で約20分かけて自宅から通う。「90歳まではシークヮーサーやタンカンなど3千坪を手入れしたが、最近は野菜にしている」と満面の笑みを浮かべる。





 キナバルは康信さんの実家があった地域。稲嶺尋常高等小学校を卒業した。「家は貧乏で鉛筆も買えなかった。同級生から借りて勉強した」と話す。





 17歳で徴兵検査を受けたが不合格に。「検査は甲種、乙種、丙(へい)種があってね。僕は小さいから丙種」と振り返る。徴兵は免れたが、家計を助けるため大阪へ働きに出て、海軍省の塩酸工場やあめ工場、煙突掃除などで働いた。「真心で働いたら給料が上がった。稼いだお金は全て実家へ仕送りした。僕には青春はなかった。いつも働いてばかりだったからね」と笑った。





 大阪に紡績勤めに来ていた本部町出身のよし子さんと結婚。戦時中の半年間は機関銃部隊に配属された。その頃、大阪にも「沖縄玉砕」の知らせが届いていた。心の中はキナバルのことでいっぱいだった。33歳でキナバルに戻ると、親も馬も豚も元気だった。よし子さんと懸命に畑仕事に汗を流す日々が始まった。





 娘の敏子さん(68)は「母の実家は漁師だったので山には住みたくなかったと話していた。でも母は、96歳で他界するまで父を支えていた」と話す。





 子ども5人、孫14人、ひ孫20人の子宝に恵まれた康信さん。今も「仕事を休むと病気になる」と畑に出続ける。ナーべーラー棚を作るための枝も自ら山で探す。敏子さんは昨年の夏、草木が茂るダム周遊道に康信さんの電動車が放置されているのを見て心配になった。「ガサガサと音がしたので見上げると、木に登って枝を切っている父がいた。ビックリやらおかしいやら」と話した。





 高齢の父に老人ホームへの入所を勧める敏子さんだが、康信さんは「そんな暇はないよ。忙しいから」と意に介さない様子。ナーべーラー棚作りに黙々と汗を流していた。(玉城学通信員)


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