
米海兵隊CH53Eヘリ炎上事故の現場となった東村高江の住民は、米軍北部訓練場の一部返還に伴う新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の建設に強く反対してきた。集落を取り囲むように六つのヘリパッドを造る計画に対し、「集落に住めなくなる」と事故の危険性や騒音被害を訴えてきた。
日米両政府は北部訓練場7543ヘクタールのうち、約4千ヘクタールの返還条件として、返還部分のヘリパッドを残余部分に移設することで合意。日本政府は環境調査を実施後、2007年7月に着工し、09年2月までに六つすべてを完成させる計画だったが、住民たちが現場に座り込むなど抗議活動を展開し、作業は難航した。
14年7月までに二つがようやく完成したが、残り四つは未着工のまま、膠着(こうちゃく)状態が続いた。政府は16年7月、最大800人の警察機動隊を動員し、抗議活動を排除する形で工事を強行。同年12月に六つのヘリパッドの完成を確認し、返還式典を開いた。
北部訓練場には新たな六つを加え、21カ所のヘリパッドがある。1970年代までベトナム戦争でのゲリラ対策としてジャングル戦闘訓練に使われていた。現在は、敵の軍用施設やゲリラ拠点への強襲、対テロ戦などを想定した訓練にヘリパッドが利用されるため、危険な飛行訓練も行われているという指摘がある。
高江の住民たちが、集落に近いヘリパッドの使用中止と撤去などを粘り強く求める中での事故となった。