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社説[追悼 大田昌秀とその時代]ひたむきに平和思想発信

  • 2017年6月13日
  • 07:43
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 元沖縄県知事の大田昌秀さんが12日、呼吸不全と肺炎のため、那覇市の病院で死去した。





 この日が92歳の誕生日だった。家族や教え子らが病室を飾り付け、ハッピーバースデーを歌ったあとに、眠るように息を引き取ったという。





 久米島の具志川村で生まれた。父親は大田さんが1歳の時に単身ブラジルに移住し、母親のカメが女手一つで4人の子どもを育てた。





 経済的にゆとりがなく、小学校卒業後に、小学校の用務員として母親を助けたこともある。





 太平洋戦争が始まった1941年、県下の優等生が集う沖縄師範学校に進学した大田さんは、45年3月末、19歳の時に、鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員された。





 多くの学友を失った。多くの住民が戦場をさまよい、追い詰められ、死んでいくのを見た。「沖縄戦は戦争の醜さの極致だ」-大田さんは戦後、自著の中で、ニューヨーク・タイムズのボールドウィン記者の文章を繰り返し引用している。





 沖縄戦体験者も研究者も、県知事も参議院議員も平和活動家も、県内外にはたくさんいる。しかし、これらの活動を一身で経験し、倦むことなく平和の尊さを訴えてきた人は、大田さん以外にいない。





 沖縄固有の歴史体験に深くこだわることによって普遍的な「平和思想」を紡ぎだそうとした生涯だった。





■強いられる住民犠牲





 大田さんが『醜い日本人-日本の沖縄意識-』を出版したのは、主席公選のあった翌年、69年のことである。





 「日本人は醜い-沖縄に関して、私はこう断言することができる」





 極めて刺激的な文章で始まるこの本は、本土でも大きな話題を呼び、賛否を巻き起こした。彼は何を訴えたかったのか。





 「沖縄戦における犠牲の意味をあいまいにし、戦争の処理さえも終わっていないまま、沖縄をして、ふたたび国土防衛の拠点たらしめようとの発想」に対して、批判の刃を向けたのである。





 「沖縄の人びとは、もはや『日本防衛のため』とか『極東の平和のため』にといった大義名分で一方的に犠牲を強いられることに真っ向から拒否している」。





 あれから半世紀近い歳月が経つというのに、「沖縄の負担と犠牲を前提にした日本の安全保障政策」という構図は変わっていない。





 辺野古問題とは、この体制を今後も維持しようとする政策にほかならない。





■沖縄の異議申し立て





 大田さんは90年12月に県知事に就任し、2期8年、知事の座にあった。





 知事在任中の最大の業績は、沖縄の基地問題を全国に提起し、「95年安保」と形容されるような巨大な大衆運動のうねりを作り出し、政治を動かしたことである。





 95年9月、米兵による少女暴行事件が発生した。抗議の声は日を追うごとに広がり、沖縄の異義申し立ては政権を激しく揺さぶった。





 そのころ、未契約米軍用地の強制使用問題を抱えていた大田さんは、土地・物件調書の署名を拒否した。政府の安保政策に明確にノーを突きつけた判断だったが、保守層や経済界にも知事の決断を評価する声が多かった。





 組合主導の運動から女性や市民主体の運動へ。安保をめぐる政治闘争から人権と尊厳を守る闘争へ。東西冷戦が終焉したあとの、時代の大きな転換期に明確なメッセージを発信し続けた大田さんの功績は大きい。





 在任中の仕事で、多くの県民に強い印象を残したのは、糸満市摩文仁に「平和の礎」を建設したことである。





 国籍を問わず、軍人・民間人の別なく、全ての戦没者の名前を石に刻み、恒久平和への願いを世界に発信した





■沖縄でなくなるとき





 2期目の最後の日に、知事がポツンとこぼした言葉がある。「夜、眠れない日が多くてね。睡眠薬を飲んでいるんだよ」





 押しが強く、あけすけにモノを言う性格が災いして、多くの批判にさらされもした。





支持者の中には、辛らつな批評を浴びせられ、距離を置く人も少なくなかった。





 局面の判断の誤りや強引さゆえの反発も少なくなかった。政権と正面から対立した知事はいなかっただけに、人格攻撃にもさらされた。ある意味で大田さんは、孤独な知事だったのかもしれない。





 大田さんが戦中戦後体験を通して、あくことなく訴え続けてきたこと。それは二つの点に要約されると思う。





 「軍は民を守らない」という戦争への懐疑と、「安全保障が大事だというなら、なぜ、自分たちで基地を引き受けようとしないのか」という安保政策に対する根本的な疑問である。 





 大田さんの問いかけが失われ、雲散霧消するとき、沖縄は沖縄でなくなり、まったく別の沖縄になるだろう。それがいいことだとは思えない。


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