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大田昌秀元沖縄県知事が死去 92歳 普天間返還要求、「平和の礎」建立

  • 2017年6月12日
  • 14:58
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【号外】大田昌秀氏死去(スマートフォン・タブレットをご利用の方は「沖縄タイムス 電子版」アプリでご覧ください)
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 沖縄県知事を2期8年務め、参院議員などを歴任した大田昌秀(おおた・まさひで)さんが12日午前11時50分、呼吸不全・肺炎のため、那覇市内の病院で死去した。92歳だった。旧具志川村(現久米島町)出身。





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 戦前の沖縄師範学校に進み、1945年3月、鉄血勤皇隊に動員された。多数の学友が戦死するのを目前にし、九死に一生を得た。





 自身の体験を踏まえ、戦後は琉球大教授として沖縄戦と戦後史研究の第一人者として活躍。90年の知事選に革新統一候補で出馬し、初当選を果たした。98年まで2期務めた。





 在任中の95年、米軍基地の強制使用の手続きの一つ代理署名を拒否した。政府は知事を相手に、職務執行を求める訴訟を提起。大田さんは沖縄戦の悲惨な体験や過重な基地負担を背負う沖縄の歴史的背景を訴えたほか、最高裁大法廷では「一地方の問題ではなく、主権と民主主義が問われる、すぐれて日本全体の問題だ」と意見を述べ、現在の翁長雄志知事の主張に連なる問題を提起した。96年に最高裁で敗訴が確定した。





 95年には、米兵による暴行事件が発生。県民の反基地感情が激化した。大田さんは橋本龍太郎首相に普天間飛行場の即時返還を要求した。日米両政府は翌96年4月に普天間飛行場の返還を発表。県内移設が条件となり、名護市辺野古の新基地建設問題に発展した。





 平和行政の柱とした「平和の礎」を95年6月、糸満市摩文仁に建立。国籍を問わず、軍人や民間人を区別せず、沖縄戦などの戦没者を刻銘した。初の女性副知事の登用や女性総合センターの落成など女性の社会参画に取り組んだ。在任中に県公文書館も開館した。





 大田さんは普天間飛行場の県内移設に反対し、98年に代替施設の受け入れ拒否を表明。同年秋の知事選で稲嶺恵一さんに敗れた。





 2001年には参院選比例区に社民党から出馬し、当選。1期務め、07年に政界から引退した。





 その後、那覇市に沖縄国際平和研究所を開設し、理事長に就任。沖縄戦関連の文献や写真などの資料を所蔵・公開し、沖縄戦を後世に伝える役割を担った。


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