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世界一斉に三線を奏でる「さんしんの日」 重なる旋律に感動の鳥肌 来年はあなたも参加を!

  • 2017年3月13日
  • 16:50
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<div class="caption">これが沖縄の三線です</div>
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 去年、テレビのCMで有名になった「海の声」が大ヒットしましたね~。その時に桐谷健太君が弾いていたのが三線です。沖縄では毎年3月4日に三線の一大イベントが開かれるのですが、今回は私、松尾秀樹が大会のもようとその魅力を紹介したいと思います。





 本土では「三味線」が一般的です。実は沖縄の人が思っているほど、「三線」ってあんまり知られてないんですよ。実際、私も知りませんでした(笑)。なので、まず三線について調べました。





 





そもそも三線とは? 三味線とどう違うの?







これが沖縄の三線です






 あまり知られていませんが、本土の三味線のルーツは三線なんです。 三線の歴史は古く、今から600年以上前に作られた弦楽器です。中国との貿易が盛んだった琉球王国時代に、中国の「三弦」という楽器が沖縄に入ってきて三線の元になったと言われています。





 弦は3本。それぞれ太さが異なって音の高低が出せるようになっています。「胴」といわれる音を出す部分にニシキヘビの皮を貼っています。三味線は猫の皮を使うのですが、猫の皮は高級で値段が高いため、稽古用には犬の皮が使われています。





 大きさも違います。三線が約80センチなのに対し、三味線は約100センチもあります。三線の撥(ばち)は指先につける小さいものですが、三味線のは手で包み込むように持つかなり大きなものです。







三線の撥は指にはめて使います






 「さんしんの日」のパンフレットによると、三線は琉球王朝時代には、宮廷楽器として身分の高い人(しかも男性だけ)しか演奏できませんでしたが、時代の流れとともに一般庶民にも広く普及したといわれています。そして一日の終わりには、多くの家で三線の音色が響いていたそうです。





 そんな沖縄の歴史に根差した三線のイベントが「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」なのです。









「さんしんの日」が誕生した背景とは?







上原直彦さん






 琉球放送の元ディレクターでラジオパーソナリティの上原直彦さんによると、沖縄では三線が一時、日陰者的な存在になっていたそうです。





 「三線をする人は、怠け者になる」とか「三線習うと遊び人になる」と言われて、だんだんと三線を弾く人が少なくなっていったといいます。





 三線は倉庫で埃(ほこり)をかぶったままか、床の間の飾り物となっていました。


悲しい時もうれしい時も音を奏でてくれた三線のことを、多くの沖縄県民が顧みなくなってしまったんです。





 そこで、三線の良さや楽しみを多くの人と分かち合いたい、沖縄中を一つに出来ることはないか、と立ち上がったのが上原さんでした。





 沖縄の文化を象徴する三線の伝統と技術を受け継ぎ「家に眠っている三線をこの日だけでも弾けるように」と提唱して、1993年(平成5年)に始まったのが、この「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」なのです。







 






 「ゆかる日」は佳かる日・佳日から、縁起のいい日・めでたい日の意味で、「まさる日」は、優る日・勝る日の意味を持ち、「さんしんの日」をよりおめでたく特徴づけるために 重ね言葉にしたそうです。





 3月4日にしたのは、「三線(さんしん)」の語呂合わせからです。





 当日は3部構成になっていて、各部が終了するごとにお客さんは総入れ替えとなります。それぞれの整理券がないと再入場できないのですが、整理券は1人2枚までしかゲットできないので注意してください。 参加料は、なんと無料(入場整理券が必要です)。とても人気があるので早めに入手することをオススメします。配布場所は琉球放送のホームページに載っているのでチェックして下さいね。









同じ曲を時報に合わせて10回も演奏







読谷村文化センター






 チケットを握りしめて、会場の沖縄県の読谷村にある読谷村文化センターに向かいます。





 ここで正午の時報とともに、一斉に「かぎやで風節」を奏でます。沖縄の祝いの席には欠かせない曲で、三線教室で最初に教えてもらう課題曲でもあります。





 私も三線教室に通い出して1年になりますが、いまだにマスターできていません。三線だけなら大丈夫ですが、「唄三線」(うたさんしん。歌いながら三線も弾くこと)となるとあと1年はかかるのではないかなと感じています。





 その理由は沖縄民謡の歌い回しが独特なことと、沖縄の方言(ウチナーグチ)の発音が兵庫県出身の私には難しいのです。歌の意味を理解して、想いを込めて歌い上げるのはなかなかの至難の業といえます。







「かぎやで風節」の工工四(楽譜)






 さんしんの日には、その「かぎやで風節」を正午から午後9時まで時報に合わせ、1時間ごとに繰り返し演奏します。メイン会場の読谷村文化センター鳳ホールだけでなく、沖縄県内13カ所、県外7カ所、海外でもラジオやインターネットから流れる正午(日本時間)の時報に合わせて弾くのです。沖縄を中心に世界の各地で同じ楽器で同じ曲を1時間ごとに一斉に演奏するイベントは、おそらく他にはないと思います。





 ロビーには三線や小物の販売ブースもあります。さんしんの日特価で売られていたので、のぞいてみました。





 人工三線が2万円から、強化張り三線が5万円から、本皮三線が7万円からあります。木の素材や皮の張り方によって値段が変わるそうで、有名な職人さんだと100万円を超える三線もあります。







三線






 エイサーや民俗芸能で使用される手持ちの片張り太鼓「パーランクー」です。子供用2000円、大人用が3000円でした。







パーランクー






 撥、弦、カラクイなど三線の小物も品数豊富に取り揃えていました。こういうのを見るのも楽しいです。







三線の小物類










いよいよ本番! 幼稚園児から芸能家まで一斉に





  私も初参加なので、期待と興奮でワクワクしています。





 メイン会場である読谷村文化センターに着くと、開場の1時間前だというのにすでに三線を持って並んでいる方が50名ほどいらっしゃいました。







鳳ホール






 お話を聞くと、この日の為にわざわざ県外から来ている方が多かったようです。東京、大阪、愛媛、熊本などと地域はバラバラですが、このイベントに向けて三線を練習してきたという岡山の60代のご婦人もいらっしゃいました。





 緩和ケア病棟に勤めているという看護師の女性は、「三線の音色が大好きで、痛みが和らぐ」という高齢の患者さんのために毎日三線を弾いてあげているそうです。





 そうこうしているうちに開場となり、鳳ホールに案内されました。700ある観客席は満席でした。今回は土曜日ということもあり、三線を手にした幼稚園児や小学生もいました。私は客席に陣取って、スタンバイOKです。







会場は満員です






 巨大な工工四(クンクンシー 楽譜)が掲げられた舞台では、歌・三線の琉球古典音楽野村流保存会の皆さんと、舞踊の島袋千尋会、島袋光尋、君子琉舞練場の皆さんが本番を待っています。客席では県内外から三線を持って集まった一般の皆さんが!





 そして、いよいよラジオの正午の時報とともに1回目の「かぎやで風節」の演奏が一斉に始まりました。実は、この時報音の正時を示す音は、さんしんの調弦C調と同じなんです。





時報音と「かぎやで風節」の最初の音が重なったとき、ホール内が大きな三線の音で包まれました。これが全国で、全世界で行われていると思うと鳥肌が立ちました。





 日常にはない緊張感に包まれ、三線を弾く手にも汗がにじんでいました。でも、テレビのカメラマンが私の近くにきてレンズを向けたときは、笑いをこらえるのが大変でした。同じ曲を、これだけ多くの方と一斉に演奏するのは初めてことです。三線の音がきれいに重なったときの心地よさは何とも言えないものがありました。本当に気持ちよかったです。









次の時報までは有名アーティストの豪華競演







舞台には巨大な工工四が掲げられています






 


 私と同じように、三線を手に会場に訪れた一般の参加者は100人ぐらいいましたが、一緒に弾きたいという方は誰でも演奏できます。特に必要な手続きもありません。工工四(楽譜)を持っていない方のために、舞台上には大きな工工四が掲げられています。





 第1部で時報に合わせて「かぎやで風節」をさんしんで弾けるのは正午、1時、2時の計3回です。私は途中出演者のインタビューで抜けたので、一緒に演奏できたのは2回だけでした。





 鳳ホールの一番奥から舞台の写真を撮ろうと思い、階段を駆け上がっていくと、2人の若者が三線を弾いていました。沖縄の民謡界を代表する歌者、仲宗根創さん(写真左)と伊藤幸太さん(写真右)でした。







 






 1回目の「かぎやで風節」の演奏が終わると、次の時報までの間は唄者が次々に舞台で歌や三線などを披露してくれます。





 16歳のとき、大ヒット曲「ユイユイ」で芸能界デビューした山川まゆみさんが率いる「山川まゆみ&島うた少女テン」の皆さんです。山川さんは現在も三線教室やライブ活動、ラジオのパーソナリティなどで幅広く活躍しています。







 






 県民に長く愛されてきた名曲「遊び庭(あしびなー)」で有名な沖縄の唄者、前川守賢さんです。舞台にライブ活動、テレビCMでもおなじみですね。







 






 沖縄の旋律をメジャーに押し上げた「島唄」の作者、元THE BOOMの宮沢和史さんです。







 






 第2部はネーネーズさん、知名 定人さん、仲宗根 創さん、いーどぅしさん、第3部では松田 弘一さん、よなは 徹さん、伊藤 幸太さん、大工 哲弘さんら豪華な顔ぶれのステージが繰り広げられました。









「三線がないと生きていけない」







 






 出演者の方にもインタビューさせていただきました。「山川まゆみ&島うた少女テン」の山川まゆみさん(写真後列右から3人目)と、まゆみさんの長女でテンのメンバー、マナミさん(後列右から4人目)にお話を伺いました。





 -今回の舞台を終えていかがでしたか?





 マナミさん「とっても緊張しました。でもお客さまから拍手をいただいたり、一緒に歌ってくださったりしたことで一体感が生まれてうれしかったです」





 まゆみさん「デビューして25年になりますが、偶然にも今日のさんしんの日も25回目の開催。デビュー曲の『ユイユイ』を子供たちが歌ってくれていることを、すごくうれしく思っています。この鳳ホールはお客さんが近くて温かさを感じます。ラジオを聴いているリスナーさんたちの応援を感じられるイベントです」





 -普段、三線を広めるためにどういった活動をされていますか?





 まゆみさん「子どもから大人までを対象にした三線教室のほか、県内外でライブを定期的に開いて、少しでも三線や沖縄民謡の素晴らしさを知ってもらおうと頑張っています」





 -あなたにとって三線とは何ですか?





 まゆみさん「命ですね。三線がなければ元気でいられないです。笑顔のもとであり、生きる活力、生きている喜びを感じられる大切な物です」





 マナミさん「三線がないと生きていけないですね。お母さんのお腹にいるときから、三線の音色を聞いて育っているので、なくてはならないものです。いつも身近にないと落ち着かないです。三線や沖縄民謡に助けられることもあるので、大切な宝物ですね」







 






 「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」に参加してみて県内だけでなく県外そして海外にも三線が広がっていることが分かりました。でも、もっといろいろな人に三線を知ってもらい、触れてほしいとも思いました。





 よく「三線の音色は癒やされる」「沖縄を感じることができる」と言われますが、本当にその通りで、心の中にしみる何ともいえない音色だと思います。今回、三線が好きな人が集まって行われたイベントですが、会派や流派を問わずに一緒に同じ曲を弾けたことをうれしく思います。





 さんしんの日は琉球放送(RBCiラジオ)で生放送されるので、じっくり聞いたり、一緒に演奏したり、ライブで楽しむことができます。県外の方でも、スマホアプリの「ラジコ」があれば、沖縄にいるのと同じようにラジオが聞けますよ。





 沖縄文化の象徴である三線の素晴らしさを再認識したイベントでした。「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」が50年、100年と続くようなイベントになることを祈っています。


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