福井と沖縄、原発と基地のニュースサイト

翁長知事への進言:野中広務元官房長官「体張り、やるしかない」

  • 2017年3月6日
  • 00:00
  • Twitterでシェア0
  • Facebookでシェア0
  • Google+でシェア0
  • 0
基地政策を進めるにしても、心の触れ合いや沖縄の痛みを忘れた人が増えたと話す野中広務元官房長官=京都市内
基地政策を進めるにしても、心の触れ合いや沖縄の痛みを忘れた人が増えたと話す野中広務元官房長官=京都市内

 昨年12月の最高裁判決を受け、沖縄防衛局が名護市辺野古の新基地建設に向け海上作業を再開して4日で2カ月を迎えた。県は埋め立て承認時の留意事項に付した工事開始前の事前協議が整っていないとして工事の中止を求めているが、国は強行的な姿勢を崩さない。かつて、沖縄の痛みを知り、県民に寄り添う姿勢を示してきた政府、自民党とは一線を画す。一方、翁長雄志知事は「あらゆる手法で工事を阻止する」と強調するが、撤回の時期など県の対抗策が明示されないことから、県民の一部には不安や不信感も募る。翁長知事は政府とどう対峙(たいじ)し、県民に向き合うべきか。沖縄に何度も足を運び沖縄と向き合った野中広務元官房長官(91)に話を聞いた。





 -米軍普天間飛行場返還の原点は何だったか。





 「少女暴行など事件が相次いだ。負担の肩代わりができないかと考えて努力したが、米軍岩国飛行場への空中給油機の移転と鈴木宗男議員の努力で県道104号越え実弾砲撃演習の北海道移転くらいしか実現できなかった。普天間を県外に持っていく方法は見つからなかった」





 -どう沖縄と向き合っていたか。





 「沖縄には月に数回行き食事をしながら腹を割って意見交換した。何度も謝りにもいった。例えば米国が南鳥島に劣化ウラン弾を置いて2年後に伝えてきた。日本政府はそれから1年後に沖縄へ言った。記者がみている前で大田昌秀知事に謝った。一見、罪人のように見える場面もあったが、心に収めて頭を下げた」





 -国は違法確認訴訟で勝訴し工事を即再開した。





 「時が移り変わって、最近では訴訟で勝ったら工事を再開するとか、オスプレイが事故を起こしても修理や点検が終わったらすぐ飛び立つ。心の触れ合いや、琉球処分以来の歴史を振り返っていかに苦しんできたかという沖縄の痛みを知らない。地上戦を経験したのは日本で沖縄だけなどと、胸に抱きながら話をする態度が、やや欠けてきたのではないか」





 -翁長雄志知事は、辺野古の工事を強引に進めると日米安保体制が厳しくなると口にする。





 「どうしても気持ちが収まらないというのが、翁長知事だけでなく県民にあるのではないか。体を張っている翁長知事にやめておけなどといえない。やるだけやらなしゃあない。知事は県民に責任がある。かつて自民党の県議であっても、そこは理解してあげなきゃいかん。僕は今は沖縄に行かない。彼に会うのがつらい。彼もつらいだろう」





 -振興と基地負担は当時も関連づけていたか。





 「サミット開催は苦労した。役所の候補地調査で沖縄はビリ、点数みたら全然駄目だったけど小渕恵三首相と2人で決めた。各国の首脳に米軍基地がこんなにあるとみせておきたいというのは理由の一つにあった。米軍政策がここまで及んでいると世界の首脳たちにみせるのは、米国にとっては嫌なことだがクリントン大統領は何も言わなかった」





 -1997年の米軍用地特別措置法改正の特別委員会の委員長報告で「沖縄県民を軍靴で踏みにじることがないように」といった。





 「法案は可決されたが、初めて沖縄に行ったときに『あそこで妹が殺された』といって泣いた運転手のことを思い出し、かつての大政翼賛会のようにならないようにと口から出てしまった。これは不規則発言として議事録削除されたが、特措法を通すならいっておかないと委員長をやった責任がとれないと思った。政治家というのはそういうものだ」(聞き手=東京報道部・上地一姫)





 





基地政策を進めるにしても、心の触れ合いや沖縄の痛みを忘れた人が増えたと話す野中広務元官房長官=京都市内


基地 from 沖縄 カテゴリーニュース

原発 from 福井 カテゴリーニュース

原発 from 福井 カテゴリーニュース

基地 from 沖縄 カテゴリーニュース