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ムラの宝はでっか井戸 地域を支えた命の水 沖縄・名護市仲尾

  • 2016年12月21日
  • 10:14
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「西又がー」を見つめる(右から)仲尾区の宮里達也書記、金城のり子さん、光行八重子さんと玉城清市区長=名護市
「西又がー」を見つめる(右から)仲尾区の宮里達也書記、金城のり子さん、光行八重子さんと玉城清市区長=名護市

 【名護】石垣を抜けると、そこは巨大な井戸だった-。名護市仲尾区の金城のり子さん(76)宅の隣には直径約2・7メートル、水深約3メートルの大型の共同井戸「西又(いりまた)がー」がある。石垣は、「はんじゃくやー(金細工屋)」の屋号で明治40年代当時、3代目区長だった伊豆味清兵衛さんの屋敷のもの。孫に当たる金城さんは「井戸の石積みも同じ石が使われている。これほど大きい井戸はあまり見掛けないと思う。見に来た人はみんなびっくりします」と話す。





 同区では数軒の民家で井戸はあったが、どれも小さく、どこを掘っても「どぅるみじ(泥水)」ばかり。羽地地域からは「仲尾どぅるみじ」と言われた時代もあった。





 唯一飲み水として使われた「西又がー」は、洗濯や洗いものは禁止、という厳しいルールが存在した。玉城清市区長は「現在は使われていないが、水は今でも湧いている。仲尾トンネルと同様、ムラの宝です」と笑顔で話す。





 市文化財保存調査委員会の岸本林委員長は「このような大きな井戸は市内でここだけ。県内でも珍しいのではないか。文化財級です」と価値に太鼓判を押した。小学校低学年だった頃、いつも水くみをさせられたという光行八重子さん(73)は「1斗缶をひしゃく代わりにして水くみをした。ほかの家も、子どもが水を運ぶのが仕事だった」と思い出す。





 「はんじゃくやー」には戦後、「警察」「配給所」「病院」が開設されていた。金城さんは「母がいつも言っていた口癖が『水は命』。水を大切にしない人は、水にも大切にされない、と教えられた」と話した。(玉城学通信員)


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