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原発政策の揺れ直撃、絶たれた実用化 ふげん運転終了(中)

  • 2003年3月30日
  • 16:32
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式典終了後、会見に臨む核燃料サイクル開発機構の都甲泰正理事長(右から2人目)=2003年3月29日午後、福井県敦賀市のふげん発電所
式典終了後、会見に臨む核燃料サイクル開発機構の都甲泰正理事長(右から2人目)=2003年3月29日午後、福井県敦賀市のふげん発電所

 一九九五年八月。新型転換炉(ATR)の実用化を放棄すると原子力委員会は決めた。建設費が当初見積もりの倍近く、発電単価も軽水炉の三倍になると分かり、電気事業連合会が中止を要請していたためだ。

 ただ、前年に改定された原子力開発利用長期計画(長計)では実証炉建設計画を明示していた。「寝耳に水でびっくりした」。当時、実証炉に備えた高性能化試験のためノルウェーにいたふげん(福井県敦賀市)の飯島隆技術課長(46)は知らせに驚いた。出張の理由はなくなり、やがて帰国命令を受けた。

 しかし、ふげんまで廃炉の道を歩み始めたとは思わなかった。

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 原型炉であるふげんと並行して研究開発の始まった実証炉は、電源開発が建設主体になり、八五年には青森県大間町で建設すると計画が決まっていた。ただ、立地問題が解決せず、十年もずるずると先延ばしされていった。その間に建設コストも膨らんだ。

 ATRの開発目的だった資源の有効利用、安全性といった要因以外に「経済性」の比重が増す時代になり始めていた。出力が小さくてスケールメリットも期待できないため、電力業界のニーズに合わなくなったのが実情だ。

 ましてや、ウランがだぶついた状況の中では、経済性の論理が前面に出る。

 「手をこまねいて傍観していたわけではない。五年ほど凍結して大幅な設計変更をしていれば、コスト削減もできたはず」。古林俊幸ふげん所長(55)は当時のもどかしい思いを説明するが、手は出せなかった。

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 ATRの行方を決定づけたのは、コスト高よりも、八二年の日米新原子力協定で、軽水炉でもプルトニウムが燃やせるようになった点だ。プルサーマルに道が開かれ、ATRの意義は薄れた。

 原子力開発利用長期計画(長計)改定のたびに、ATRの位置付けも、プルトニウムの供給から燃焼、さらには「軽水炉から高速増殖炉へ移行する補完炉」へと変容していた。

 ふげん自体、出力が小さく、その割には維持費がかさむため、原型炉としての役割を失ったからには、廃炉はやむを得ない結論だった。

 「プルトニウム利用の方向性が決まり補完炉としての役割は果たした。『どうして』から『そうなのか』と、私自身は心の整理がついている」と古林所長は語る。

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 ふげんが運転停止する現在。ATRに代わりプルトニウムを燃やすはずのプルサーマルは、燃料データねつ造事件や東京電力のトラブル隠しの影響で見通しが立たない。ATRからバトンタッチする相手だった高速増殖炉も、もんじゅのナトリウム漏れ事故で運転が止まり、長計からも実証炉以降の計画は消えた。

 「一時的にせよ、バトンを渡せない。忸怩(じくじ)たる思いはある」と古林所長。しかし「いつまでも足踏みしているわけではないはず」と自らに言い聞かせる。

 しかし、核燃料サイクルの現状は、プルトニウム消費をどうするかだけでなく、再処理、中間貯蔵、高レベル廃棄物処分など全体が漂流しているかのよう。ふげんの軌跡とどこか重なってみえる。

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 新型転換炉(ATR)ふげん(福井県敦賀市)が二〇〇三年三月二十九日で運転を停止する。国家プロジェクトとして建設され、初臨界から二十五年。福井県内では初めて廃炉準備に入る。「日本の原子力政策を映す鏡」とも形容されたふげんの軌跡を追った。


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