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電源3法交付金が集中促す要因に 原発の行方・第1章(11)

  • 2011年12月1日
  • 05:00
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原発の建設促進をめぐり、田中角栄首相が答弁に立った参院予算委員会=1973年12月11日(当時の福井新聞から)
原発の建設促進をめぐり、田中角栄首相が答弁に立った参院予算委員会=1973年12月11日(当時の福井新聞から)

 1970年8月、関西電力美浜原発1号機(福井県美浜町)がまだ試運転の段階で、3月に初当選したばかりの原田平吉町長(故人)は非公式に同3号機の増設を関電に要請した。

 まだ電源3法交付金はなく、固定資産税も営業運転を始めるまで入らなかった。「原発のパイオニアといいながら、財政的に厳しいままで、メリットは何もなかった」。町職員として1号機誘致に携わった高城茂元助役(88)は増設を求めた背景をこう振り返る。

当時、固定資産税は入っても、その75%に相当する地方交付税が減らされた。税収増は期待したほどではなかった。

 71年8月、県と市町村の懇談会で原田町長は「町へ入る税収が予想外に少ない」と不満を示した。中川平太夫知事(故人)は「電力消費地の電気・ガス税の分け前をもらう方向で考えていくべきだ」と回答。電源3法交付金制度に近い考え方を既に示している。

 「3号機増設の決定をきっかけに、原発の着工段階から交付金がほしいと国に求めるようになった」と語るのは辻亀一郎元町議(84)。地元の声を受け中川知事も、地域振興策として交付金制度創設を国に強く働き掛けていった。

  ■  ■  ■

 73年12月の参院予算委員会で、質問に立った福井県選出の熊谷太三郎議員(故人)は「(立地地域に対する)国の態度は極めて冷ややか。メリットはほとんど与えられていない。原発の受け入れが順調に進むはずがない」と訴えた。

 田中角栄首相は「建設が反対運動のため停滞しているが、原因の第一は、地元の市町村にメリットがないことだ。電力料金の地域格差の導入に踏み切らざるを得ない」と応じた。

 制度創設を決断した首相の指示で関係省庁は急きょ、作業に入った。年の瀬が迫る中、電源3法交付金の財源となる電源開発促進税の導入が発表された。

 当時「全国で原発に対する不安が高まり、交付金をつくらないと原発が造れない状況だった」と指摘するのは原発反対県民会議の小木曽美和子事務局長(75)。交付金は建設受け入れに対する“迷惑料”の意味合いが色濃かった。

 ただ、制度創設時は、原発の設置工事開始から運転開始までの間、原発の出力に応じて配分された。交付金制度に詳しい福島大の清水修二副学長(財政学)は「運転が始まれば固定資産税が入るとして、つなぎの補助金にすぎなかった」と解説する。

 80年度の改定で交付期間は、運転開始後5年までに延びた。しかし、美浜3号機は制度創設前の72年に着工、改定前の76年に運転を始めたため、美浜町が受けた電源立地促進対策交付金は6億5千万円にとどまった。辻さんは「(現行制度と比べ)3分の1ほどしかもらえなかった」と言う。

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 70年代前半に高度経済成長が終わると、電力需要は思ったほど伸びなくなった。既設の地域以外では原発の新規立地も国の計画通りには進まなかった。70~80年代は原発のトラブルが相次ぎ、京都府久美浜町(現京丹後市)など全国各地で建設拒否の住民運動が起こっていた。

 「交付金をつくっても新規立地は難しく、既存の立地地域に交付金がぶち込まれた」と小木曽さん。県内では70年代後半以降、高浜3、4号機(同県高浜町)など計6基の増設が次々と決まった。対象や額が拡充された電源3法交付金が、集中化を促す要因となった。

 高浜町が80~87年度、3、4号機の電源立地促進対策交付金として手にしたのは65億8600万円。3法交付金全体では09年度までの36年間に計約259億7800万円が配分された。

 ただ、交付金の使途は03年度の制度改正までハード事業に限られた。皮肉にも次々建設した豪華な「ハコモノ」は維持管理費がかさんで財政を圧迫し、さらなる増設を望むという構図を生んだ。

 「交付金に一度手を出すと抜けられなくなる」と清水副学長。麻薬のような落とし穴が潜んでいた。


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