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住民投票に議会の壁、請求を否決 原発の行方・第1章(8)

  • 2011年11月26日
  • 05:00
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敦賀原発増設計画をめぐり住民投票の条例制定を求める請求を否決した福井県敦賀市議会=1993年12月6日
敦賀原発増設計画をめぐり住民投票の条例制定を求める請求を否決した福井県敦賀市議会=1993年12月6日

 日本原電敦賀原発3、4号機増設計画が具体的に動き始めていた1993年、福井県敦賀市で住民投票の条例制定を求める市民運動が展開された。

 集まった署名は、有権者の4分の1に相当する1万989人。しかし、12月の臨時市議会で直接請求は否決された。

 住民自らの意思で未来を選択したい―。増設の是非判断に参加を求めた「住民の意思」は、「住民の代表」であるはずの議会に退けられた。

 「民意を尊重はするが民意を反映する最高機関は議会」と繰り返していた高木孝一市長(当時)は請求否決の2日後、県に増設了承を伝えた。

 運動を主導した市民団体「原発の新設・増設について住民投票条例をつくる会」の代表だった坪田嘉奈弥さん(84)はため息交じりに振り返る。「敦賀市の原子力行政には、民意が全く反映されてこなかった」

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 敦賀市議会は93年3月、敦賀商工会議所が提出した増設促進陳情を採択。市長の了承も近いとみられる中、つくる会は運動を始めた。

 署名簿は縦覧手続きで記入者が公開される。多くの人が原発関連の仕事に就き「原発を語るのはタブーのまち」(坪田さん)で、署名集めは困難とみられた。戸別訪問で「誰が書くんや、こんなもの」と罵声(ばせい)を浴びたりもした。

 坪田さんらは「原発の賛否を問う運動ではない。民主主義を求める運動」と呼び掛けた。「息子は反対だが、わしは書く」などと少しずつ賛同が広がった。1カ月間で集まった署名数には「敵も味方も驚いた」。

 それでも、市議会は「結論は既に出ている」と取り合わなかった。「民意を問うべきだという問題提起は否定できないはずだ」との期待は裏切られた。傍聴席で込み上げた怒りを坪田さんは今も忘れられない。

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 原発をめぐり住民投票を求める動きは県内でも何度かあった。ただ、議会が大きな壁となり、実現した例はない。83年には大飯原発3、4号機増設の可否を問おうと町民が運動したが、請求は14対1で否決された。

 高浜原発が全国初のプルサーマルの候補となった同県高浜町では99年9月、住民が「住民投票条例を実現する会」を結成し、実施の是非を問おうとした。既に町議会はプルサーマル推進決議を採択し、町と県も5、6月にそれぞれ受け入れを表明していた。

 会の運動に携わった渡辺孝町議(63)には忘れがたい記憶がある。98年7月、慎重派が主催した「プルサーマルを考える町民のつどい」には関西電力の下請け業者などが「動員され、3分の2が推進派で埋まった」状態になった。反対派の学識者の意見が聞こえないほど大声のヤジも飛んだという。十分な理解、議論がないまま計画が進む流れを止め、自分たちの手で決める必要があると痛感した。

 署名活動の結果、有権者の約2割に当たる1984人分が集まった。加えて、プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料の検査データねつ造も発覚した。だが、2000年1月の臨時町議会で請求は否決された。審議は実質4時間程度。賛成は17人のうち渡辺氏ら4人だけだった。

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 請求否決の3カ月後に高浜町長選があり、児玉巧さん(64)は「プルサーマル実施は住民投票で決めるべきだ」として町議を辞職して出馬した。「発電所から仕事をもらうために動く議員がいれば問題だし、現にそうだった。議員が町民の代表になっているとは思えなかった」と動機を語る。

 一方、現職として戦った今井理一前町長(79)は「日本のエネルギーをどう賄うのか。感情的に『原子力は怖い』というだけで判断されるのは困る」と住民投票に否定的な思いを抱いていた。

 結局、児玉さんの得票は署名数の半分にも届かなかった。

 「住民投票を行ってもプルサーマルを否定する結果にはならなかっただろう」という点で2人の見方は一致する。しかし児玉さんは「それでも住民投票をすべきだった」と今も考えている。


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