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敦賀原発事故教訓、今生かすとき 1981年に放射性廃液漏れ

  • 2011年5月11日
  • 16:27
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放射性廃液漏れ事故から30年が経過した日本原電敦賀原発1号機。福島第1原発事故でさまざまな問題が顕在化する中、今も重い教訓を投げ掛けている=2011年4月、福井県敦賀市明神町
放射性廃液漏れ事故から30年が経過した日本原電敦賀原発1号機。福島第1原発事故でさまざまな問題が顕在化する中、今も重い教訓を投げ掛けている=2011年4月、福井県敦賀市明神町

 1981年に福井県敦賀市の日本原電敦賀原発1号機(沸騰水型軽水炉、出力35・7万キロワット)で起きた放射性廃液漏れ事故から30年がたった。当時、敦賀産の魚や野菜が全く売れない深刻な風評被害をもたらす一方、国が一元的に行うべき原発の安全規制の在り方に一石を投じ、地元自治体が監視、関与を強めるきっかけとなった。福島第1原発事故でも海や大気中への放射性物質が放出され、モニタリングや情報公開の在り方、風評被害対策などがクローズアップされている。敦賀での教訓は現在にも通じる重い課題だ。

 事故が発覚したのは81年4月18日。敦賀1号機の一般排水路出口から、異常に高い高濃度放射能が検出されたと通商産業省資源エネルギー庁(当時)が緊急発表した。

 発端は、福井県衛生研究所(現県衛生環境研究センター)が定期的に行っていた環境放射能調査。敦賀原発が面する浦底湾で採取したホンダワラから、通常より10倍以上のコバルト60とマンガン54が検出され、調査の結果、雨水などを流す一般排水路付近の放射性濃度が異常に高いことが分かった。

 原因は廃棄物処理建屋内で高放射能濃度の廃液が漏れ、壁に空いた穴から隣の建屋に流出。さらにその地下を通る一般排水路に流れ込んだためだった。一般の排水路の上に放射性廃液を取り扱う建屋を増設するという構造上の問題があった。

 外部に放出された放射性物質は、福島第1原発事故に比べれば相当に低いレベルだったが、当時の衝撃はすさまじく、深刻な風評被害をもたらした。県や国は魚介類、海藻などの放射能測定を行って安全を確認。海底の土の汚染も影響を無視できる狭い範囲だったにもかかわらず、敦賀市でとれた魚や野菜は全く売れなくなった。

 原発近くに住む漁師たちは「魚は半値でも売れなかった。回復に2、3年かかった」「ワカメの価格は10分の1まで落ちた」と当時を振り返る。観光にも打撃を与えた。

 住民や地元自治体に対する国の対応、とりわけ情報公開の問題点も浮き彫りになった。県の調査が端緒だったにもかかわらず、廃液漏れを県が知ったのは直前で、発表後も詳細な情報は伝えられなかった。

 当時県原子力安全対策課にいた来馬克美氏(現若狭湾エネルギー研究センター専務理事)は「原発の中の話は国と事業者の?領域?で、県は敷地外のことしか話ができなかった」と話す。

 地元が知らないまま増改築した点も問題視し、県は事業者に「原発内の情報を外部にきちんと説明することで地域に安心感を与え、信頼を得られると訴えた」(来馬氏)。その結果、安全協定を改定。原発への立ち入り調査を随時できるようにし、事故・故障などの報告範囲も拡大された。

 原発反対県民会議の吉村清代表委員は、建屋の増設が漏えいの要因となったことを念頭に「長く運転すれば、古くなったものを取り換えたりする必要が出て問題が生じる」と指摘。さらに「原子炉は交換できず、放射線を浴びてもろくなっている。何が起こるか分からない」と述べ、規制や監視を強めても高経年化すれば想定外の事態が起こりうると提起する。

 福島での事故を受け、原発の安全対策、監視態勢があらためて問われる中、来馬氏は「ささいなことでも報告させ、問題があれば一つ一つ指摘して改善させる必要がある。大きな事故を防ぐには小さな段階でやるべきことをやるのが重要」と話している。


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