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美浜の村誌に記されていた大津波 原発立地の若狭湾内

  • 2011年4月29日
  • 16:14
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大津波で村が滅んだという記述が西田村誌にある「くるみ浦」のあったとみられる常神半島東側の海岸=2011年3月30日、福井県美浜町(福井新聞社ヘリから撮影)
大津波で村が滅んだという記述が西田村誌にある「くるみ浦」のあったとみられる常神半島東側の海岸=2011年3月30日、福井県美浜町(福井新聞社ヘリから撮影)

 福井県美浜町の常神半島東側に過去、大津波が押し寄せ、村が全滅したとの記述が「三方郡西田村誌」(1955年発行)にある。東日本大震災では高さ14メートル超の大津波が福島第1原発を直撃して深刻な事態になっており、この村があったとみられる場所から約14キロ離れた位置にある関西電力美浜原発をはじめ若狭湾に立地する原発にとっても津波対策は大きな課題。記述の信頼度は不明だが、一帯は入り組んだ海岸のため津波が局所的に高くなる恐れもあり、県原子力安全専門委員会は日本海側で過去に起こった津波のデータを、古文書や文献の調査を含めて蓄積する重要性を指摘している。

 険しい断崖が連なる常神半島の東側には現在集落はないが、過去には「くるみ浦(久留見村)」と呼ばれる村があったとされる。25年前に美浜町内の民家で発見された、三方五湖やその周辺の集落を描いた江戸時代初期の絵図にも所在が記されている。

 西田村誌では「クルビ村」の項に「小川の裏の山を越した日本海岸を血の裏といい、そこには以前クルビという村があったが、ある晩村人が出漁中に大津波が押し寄せて、神社と寺と民家1軒だけを残して全滅した」と書かれている。「小川」は常神半島西側の若狭町小川を指す。村が滅んだ時期は他の古文書の記載などから、中世とも江戸時代とも推測されるが具体的には不明で、本当に大津波が原因なのかも分かっていない。

 県地域防災計画では、1983年の日本海中部地震の際、高浜町和田で記録した1・9メートルの津波が県内最高値とし、高潮を加味して2・5メートルの津波を想定している。一方、県内の3電力事業者は各原発に影響する津波を2~5・2メートルの範囲で設定。東日本大震災で起きたほどの大津波は現段階では想定していない。

 ただ、古本宗充名古屋大大学院教授(地震学)は「一般的に津波は湾内に入ると拡散して弱まるが、若狭湾ではリアス式に近い地形によって局所的に津波が高くなる」と指摘する。

 県原子力安全専門委員会臨時委員の竹村恵二京都大大学院教授(地質学)は、日本海側で巨大地震が発生する頻度は太平洋側より低いとしながらも、古文書や言い伝えを精査するとともに、陸域の堆積物を調査して過去に大津波がなかったか調べる必要があるとしている。

 同村誌の記述は、関西電力のホームページの「越前若狭探訪」コーナーでも紹介されている。


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