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核燃料サイクル、揺れた国策 もんじゅとプルサーマル(1)

  • 2010年2月10日
  • 10:59
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プルサーマルが計画される福井県の関電高浜3、4号機(上)と高速増殖炉「もんじゅ」。核燃料サイクルの行方を左右する再スタートが迫っている
プルサーマルが計画される福井県の関電高浜3、4号機(上)と高速増殖炉「もんじゅ」。核燃料サイクルの行方を左右する再スタートが迫っている

 連載「動き出す2つの環 もんじゅとプルサーマル 第1部・主役と代役 (1)再スタート」

 原発の使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムを取り出して再び使う核燃料サイクル。国が原子力政策の根幹と位置付ける「二つの環(わ)」が、福井県内で大きく動きだそうとしている。一つは高速増殖炉(FBR)を軸としたサイクル。原型炉「もんじゅ」(敦賀市)が2010年3月までの運転再開を目指す。もう一つは軽水炉で燃やすプルサーマル。関西電力高浜原発で10月にも燃料装荷の見通しだ。ともに事故や不祥事で、10年以上の長き中断を余儀なくされた。その間、県民、国民の理解は一進一退を繰り返し、厳しい目が向けられる中、再出発が迫っている。

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 「技術的にいえば、十何年もかかる問題ではない。政策を見直す議論があり、結論が出るまでもんじゅは次に進めなかった。自治体と国のはざまにもんじゅが置かれたこともある」。国内外に大きな衝撃を与えた1995年のナトリウム漏れ事故から14年以上にわたる停止を、日本原子力研究開発機構高速増殖炉研究開発センター(もんじゅ)の向和夫所長はこう振り返る。

 事故当時、向氏は旧動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のパリ事務所長。混乱する現場を支援するため96年1月、急きょ呼び戻された。以来、長くもんじゅに携わり、2007年10月から現場のトップに立つ。

 原子力政策の変遷、裁判、地元の思惑…。事故後のさまざまな曲折の中で、もんじゅは揺れ動いた。

 10日には経済産業省原子力安全・保安院が運転再開の総合評価を示す予定。「現場の職員からも『いよいよだ』という雰囲気をかなり感じる。ずいぶん時間はかかったが、技術面も社会との関係も、事故の前に比べれば格段によくなった」。空白の時間を向氏は前向きに受け止めようとする。

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 サイクルの中軸であるもんじゅの長期停止で、空白を埋める代役として期待を担うことになったのがプルサーマルだ。

 99年6月、県は関西電力のプルサーマル計画を事前了解し、同年秋には高浜原発にプルトニウム・ウラン混合酸化物燃料(MOX燃料)が運び込まれた。ところが、全国に先駆けスタートを切る寸前、BNFL(英国核燃料会社)で製造したMOX燃料の検査データねつ造が発覚した。

 関係者にも、地元にも大きな衝撃が走った。関電原子力事業本部の高杉政博副事業本部長もその一人。当時はMOX燃料の輸送を担当していた。「製造現場のずさんな実態を我々が知らなかったことが一番の問題」と振り返る。

 美浜3号機事故による停滞も経て、あれから10年以上が経過した。「多くの期待に応えられず、失ったものは確かに大きい。だが、燃料を製造するフランス側との理解が深まり、MOX燃料の加工に対する信頼は格段に上がった」と高杉氏。少し信頼を取り戻せたのではないかと感じている。

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 もんじゅやプルサーマルの中断は、核燃料サイクルの停滞に直結した。九州大比較社会文化研究院の吉岡斉教授(科学史)は「長い空白があったのだから、再処理路線見直しを考える時間は十分あったはず。それを行わなかったのは大きな損失」と手厳しい。

 これに対し経済産業省資源エネルギー庁原子力立地・核燃料サイクル産業課の森本英雄課長は、単なる空白ではないとする。「地元の了解を得ながらいろいろな過程を経ている。地元を含めた関係者が努力を積み重ねてきた歴史」というのだ。


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