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すぐ帰宅が帰れず、福島原発事故 原発の行方・第8章(1)

  • 2013年10月31日
  • 15:21
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国の10キロ圏内の避難指示を受け、避難する車で渋滞する福島県浪江町の津島地区=2011年3月12日(同町提供)
国の10キロ圏内の避難指示を受け、避難する車で渋滞する福島県浪江町の津島地区=2011年3月12日(同町提供)

 15万人以上が避難した東京電力福島第1原発事故は、原発から8〜10キロ圏という従来の原子力防災の枠を超えて放射能汚染が広がった。周辺住民は想定にない広域避難に混乱した。

 「すぐに帰宅するつもりでいた。着替えを持たず、少しの現金だけを持って逃げた」。第1原発から約8キロ北の福島県浪江町中心部で種苗店を営んでいた佐藤秀三さん(68)は振り返る。

 東日本大震災翌日の2011年3月12日午前。地震のがれき処理をしていたとき、原発から10キロ圏内の避難指示を告げる防災無線が耳に入った。車に家族を乗せ、30キロ圏近くに位置する北西の同町津島地区に向かった。国道は車が数珠つなぎの渋滞。普段は30〜40分で着くところが、3〜4時間も掛かった。避難先の町施設付近では異様な光景が気になった。「町民は着の身着のままなのに、警察官と自衛隊は防護服姿だった」

 同14日の3号機水素爆発を受け町は翌日、独自に50キロ圏外の二本松市への避難を決定。佐藤さんも移動した。4月に入り、最初に避難していた津島地区の放射線量が高かったことが分かった。

 浪江町は第1原発が立地する双葉町の北に隣接する。馬場有(たもつ)町長は「東電と連絡通報協定を結んでいたが、一切連絡はなかった」と憤る。独自に避難先を探し決断しなければならなかった。

 結果的に一時避難先が高線量地域だった点に「放射能が高いと国から一言あれば無用な被ばくをせず、早く町外避難できたのに」と唇をかむ。4月に国が計画的避難区域として避難指示するまで1カ月余りを要した。
 同町の北にある南相馬市も国の対応に翻弄(ほんろう)された。3月15日の20〜30キロ圏内の屋内退避指示により、風評被害などで物資が入らなくなった。同指示は4月22日の解除まで続き、町独自で物資を調達するしかなかった。桜井勝延市長は「情報や物資の過疎地帯になり“棄民扱い”された」と今も怒りは収まらない。

 国会の事故調査委員会の報告書では、政府の自治体への連絡が遅れ、住民は多数回の避難や線量の高い地域への移動で混乱したと指摘。「原子力防災対策の怠慢と、官邸や規制当局の危機管理意識の低さが混乱の根底」と厳しく批判した。

 浪江町民約2万1千人は全国に散り散りになり、いまも避難生活を余儀なくされている。二本松市の仮設住宅に住む佐藤さんはこう指摘する。
 「事故に遭ったら、すぐに戻れない。避難計画ではコミュニティーを維持するためにも行政区や学校単位で避難先を決めていた方がいい」

 住民避難は万全か

 前線拠点が機能不全

 放射能観測提供できず


 東京電力福島第1原発事故では、なぜ国や県から市町村に情報が十分伝わらず住民避難が混乱したのか。
 地震や停電で通信手段が途絶、対応が後手に回ったのが一因だ。さらに原発事故対応の“前線拠点”となるオフサイトセンターが機能を果たせなかった。

 同センターは第1原発から約5キロ離れていた。本来は国や県、市町村などの防災関係者が集まり、避難や被ばく医療といった住民防護対策を講じる。だが事故時は参集人員が不足、通信回線もまひし事故状況などの情報が入らなかった。

 当時、福島県相双地方振興局県民環境部副部長だった高田義宏土木部主幹は、住民安全班長として駆けつけた。「ほとんど寝ずに対応したが、避難誘導まではできなかった。市町村の避難情報の確認にとどまった」と悔しさをにじませる。

 国が20キロ圏内の避難指示を出した際も、県原子力防災計画は10キロ圏までしか想定がなく「どこが20キロの線引きか分からなかった」。20キロ圏内である地区が発表から漏れる問題も起きた。

 事故の経過とともに同センター屋内の放射線量が上がり「3月14日には表示板がすごい勢いで上昇した。本当にどうなるんだ」と恐怖心に包まれた。結局、同15日に撤退を迫られ、機能を福島県庁に移転した。
 福島の事故を教訓に本県の場合、原発立地市町に4カ所ある同センターの機能強化のため、放射性物質を遮断するフィルター付き換気設備を整備中だ。30キロ圏外の嶺北に代替施設を置く検討も進めている。

 放射能の拡散を予測する国の「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」=Wワードファイル=や、モニタリング情報などを住民避難に活用できなかったことも福島の事故の教訓だ。

 SPEEDIは原発の状態など放出源データが得られず使えなかったとされるが、政府の事故調査・検証委員会は「SPEEDIの単位量放出予測の情報提供があれば、各自治体や住民はより適切に避難のタイミングや方向を選択できた可能性がある」と指摘した。

 福島県は3月12日以降、第1原発周辺でモニタリングを実施。ただ、情報は断片的にしか公表されず、放射能汚染の広がりなどは具体的に示せなかった。

 当時の県原子力安全対策課長だった小山吉弘氏は「オフサイトセンターに報告していたが、広報が機能しなかった。モニタリング情報をしっかりと提供できなかったのは反省点」と声を落とす。

 放射能の拡散情報がなく一時的に高線量の地域に避難した浪江町の馬場有(たもつ)町長は「放射能が風に乗り、どう動くかを分析して避難する訓練は必要。実際には難しいものだが、国や自治体が連携を密にして取り組まないといけない」と訴えた。

 ■東京電力福島第1原発事故の避難をめぐる経緯■

【2011年3月11日】
14時46分東日本大震災が発生
14・48 1〜3号機が自動停止
15・42 電源喪失を受け東電が原災法に基づく10条通報
16・36 炉心冷却装置の注水不能により東電が15条通報
19・03 首相が原子力緊急事態宣言を発令
21・23 国が第1原発の3キロ圏内に避難指示。3〜10キロ圏内に屋内退避指示

【12日】
 5・44 国が10キロ圏内に避難指示
15・36 1号機で水素爆発
18・25 国が20キロ圏内に避難指示

【14日】
11・01 3号機で水素爆発

【15日】
11・00 国が20〜30キロ圏内に屋内退避指示

【25日】
11・46 国が20〜30キロ圏内に自主避難要請

【4月22日】
 0・00 国が20キロ圏内を警戒区域に設定
 9・44 20〜30キロ圏内の屋内退避指示を解除し、新たに計画的避難区域と緊急時避難準備区域に設定

【9月30日】
18・11 国が緊急時避難準備区域を解除

【12年4月1日】
 0・00 国が警戒区域の一部を帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除
      準備区域に再編

【13年5月28日】
 0・00 国が警戒区域の再編を完了

【8月8日】
 0・00 国が計画的避難区域の再編を完了

 ◎ワードファイル

 SPEEDI

 原発事故が起きた場合、放射性物質が周囲にどう広がるかを予測するシステム。文部科学省が原子力安全技術センターに運用を委託、風向きや降水量、地形、放射性物質に関するデータを使って試算する。米スリーマイルアイランド原発事故を受け128億円以上かけ整備された。福島第1原発事故では、原子炉などのデータを常時監視し、非常時に放射性物質の放出量を予測する緊急時対策支援システム(ERSS)が電源喪失で使えず、これを利用したSPEEDIの機能が発揮できなかった。公表も大幅に遅れ、批判を受けた。

    ×  ×  ×

 原発14基を抱える本県は7月に県原子力防災計画を改定した。避難計画や体制は万全か、福島の事故の教訓を踏まえ課題を探る。


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