
福井県おおい町出身の作家水上勉さん(1919~2004年)が、若狭に原発が立地した後の古里の風土についてつづった文章を収めた「若狭がたり わが『原発』撰抄」(アーツアンドクラフツ)が刊行された。福島原発事故から6年になるのに合わせて、同県大野市出身の詩人で作家の正津勉さんが編集した。寒村の暮らしを変えた原発とは、本当の豊かさとは何か。自身の魂の在りどころとした若狭の移りゆくさまを見つめながら、原発と共存することの意味を問い掛けている。
編集の仕事を通じて1980年代から水上さんと近しくしていた正津さんによると、水上さんが若狭に林立する原発に批判的な思いを持つようになったのはチェルノブイリ原発事故後。安全神話がほころびた原発による古里の変貌のありように正面から向き合い、「若狭」や「故郷」を表題とするエッセーや小説を相次いで発表した。
「若狭がたり」には、その中から、水上さんが古里に開いた若州一滴文庫で住民と交わりながら暮らした80年代に書いたエッセー、掌編小説など26編を選んだ。1編を除き、全集にも収められていない。
エッセーの中では、次男、三男は京阪神へ奉公に出されていた貧しい若狭の農漁村の暮らしを一変させたのが原発だったとした。大飯原発のある大島半島から、幼少のころビワ売りが来たことを思い起こし、「地場産業のない半島が枇杷売りから、電気売りに変った。都市へ奉仕する側にあるのに変りはない」とつづった。電気を自由に使い文明生活を享受する都市生活者への怒りが読み取れる。
また、大島半島に生まれ「一滴の水」を惜しめと言った禅僧、儀山善来に触れ、「満足も不満足も、みなぼくらの心の所産ゆえに、儀山は足もとの井戸の水を大切にしろ、と教えたのである。心の井戸をである」と説いた。
別のエッセーでは、小作として「汁田甫(しるたんぼ)」と呼ばれる深泥のたんぼに胸まで漬かって朝から晩まで働いた母の姿を回想。貧しさと悲しみが故郷の生活にあったとする。「どこにいても、眼をつぶりさえすれば、若狭の景観は鮮明にうかぶ」と記し、子ども時代の美しい風景や習俗が、各編とも鮮やかに描写されている。
児童文学者の灰谷健次郎さんとの往復書簡や、同県坂井市の写真家水谷内健次さんの写真集「移りゆく若狭」に寄せた文章も収められている。
正津さんは「魂の在りどころという思いを込めて、水上さんは郷里を在所と呼んだ。在所の存廃を左右する原発の存在に黙っていられなかったのだろう。一方で原発で働いた弟がおり、単純な主張ではない。3・11から6年がたって文学的表現で原発を語ることが少なくなったいま、水上さんの文章に向き合ってほしい」と話している。
四六判。232ページ。2160円。