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事故や不祥事、迷走続く夢の原子炉 もんじゅ初臨界20年(上)

  • 2014年4月5日
  • 17:45
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もんじゅ(福井県敦賀市)のナトリウム漏れ事故現場付近。その後もトラブルや不祥事が相次いでいる=1995年12月(代表撮影)
もんじゅ(福井県敦賀市)のナトリウム漏れ事故現場付近。その後もトラブルや不祥事が相次いでいる=1995年12月(代表撮影)

 日本原子力研究開発機構の高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)は、1994年4月5日の初臨界から20年が経過した。発電しながら消費した以上の燃料を生み出す「夢の原子炉」といわれたが、20年間での運転期間の累計はわずか220日。事故や不祥事で迷走を続け、「安定した発電の技術的な実証」という原型炉の目的を果たせぬまま存在意義が問われている。

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 この20年、ほとんど稼働できなかった最大の原因は、初臨界から1年8カ月後の95年12月に起きたナトリウム漏れ事故だ。出力40%段階の試運転中に2次冷却系配管の温度計さや管1本が折れ、ナトリウムが漏れた。ナトリウムの危険性が社会に衝撃を与え、さらに当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の現場映像を意図的に編集した「ビデオ隠し」や虚偽報告が発覚。事故は事件になった。

 「技術的に重大事故ではなかったが、政治的、社会的な問題があり、本来の技術的な解決に向かえなかった。もんじゅは国家プロジェクトで象徴的な存在だったため、原子力政策も大きく揺さぶられた」。動燃時代から携わってきた向和夫・元もんじゅ所長は当時を振り返る。

 もんじゅの位置付けは2000年の原子力研究開発利用長期計画(長計)で「早期運転再開」と明記されたが、そのために必要な改造工事入りを県が認めたのは05年2月。事前了解願を受理してから4年以上を費やした。

 元県原子力安全対策課長の来馬克美・福井工大教授は「社会的信用を失ったこと」を地元手続きに時間がかかった要因に挙げる。数値では測れない信頼をどう回復するかを考え、県は01年に独自に「安全性調査検討専門委員会」を設置。県民目線で不安な点をオープンに議論し、2年以上かけ安全性を検証した。

 もんじゅは10年5月に運転再開にこぎつけたものの、約3カ月後には原子炉容器内に炉内中継装置が落下するトラブルを起こし再び停止。東京電力福島第1原発事故後も1万点を超える機器の点検漏れ問題が発覚し、いまだ運転再開の見通しが立っていない。来馬教授は「古傷に何度も塩をこするような展開。トラブルを起こすたびに社会の信頼が下がっていく」と話す。

 原子力資料情報室の伴英幸共同代表は「仮に運転再開しても、ちょっとしたトラブルで1~2年の停止を繰り返すのではないか。国会で『もう必要ない』という議論が大きくなるはずだ」と見る。

 来馬教授は、もんじゅを取り巻く状況をこう指摘する。「電力業界も自分たちが引き継ぐ実証炉が見えない状況の中、支える意欲が薄れた。もんじゅはトラブルを起こしても周囲が守ろうとしない状況にさらされ、迷走してきたのではないか」


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