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運転わずか250日、迷走22年 不祥事続き、原型炉役目果たせず

  • 2016年9月22日
  • 08:35
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初臨界を確認する中央制御室=1994年4月5日、福井県敦賀市のもんじゅ
初臨界を確認する中央制御室=1994年4月5日、福井県敦賀市のもんじゅ

 発電しながら消費した以上の燃料を生み出す「夢の原子炉」とされた高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)。1994年4月の初臨界から22年間で運転期間はわずか250日。事故やトラブル、不祥事で迷走を続け、実用化に向けた発電技術確立という原型炉の目的を果たせないまま、終止符を打つ方向で政府が検討に入った。

 ほとんど稼働できなかった最大の要因はナトリウム漏れ事故。95年8月に発電開始したが、同12月に出力40%で試運転中、2次系配管の温度計さや管が折れ、冷却材のナトリウムが漏れた。空気との接触で激しく反応するナトリウムの危険性が衝撃を与えた。

 事故の直接的な引き金となったのは、温度計さや管の設計ミス。ただ、当時の運営主体だった動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が現場映像を意図的に編集した「ビデオ隠し」や虚偽報告が発覚し、事故は事件になった。

 強い批判を浴びた動燃は解体的な出直しを迫られ、98年に核燃料サイクル開発機構に改組。2005年には当時の日本原子力研究所と統合して今の日本原子力研究開発機構に。国は早期の運転再開方針を掲げていたが、社会的な信用を失った影響は大きかった。

 周辺住民が国の設置許可の無効確認を求めた行政訴訟は司法判断が揺れ、法廷闘争は20年に及んだ。安全対策の改造工事に向けた県と敦賀市の事前了解など地元手続きも慎重となり、運転再開にこぎ着けるまで14年半を費やした。

 運転再開は10年5月。だがわずか約3カ月後に燃料交換用の炉内中継装置が設計の問題で、原子炉容器内に落下するトラブルを起こし、再び運転を凍結した。

 12年11月に大量の機器の点検漏れが発覚し、現場のずさんな保守管理が浮き彫りに。原子力規制委員会は13年5月に運転再開準備を禁止する命令を出したが、その後も保安規定違反が相次いだ。そして規制委は昨年11月、原子力機構を「資格なし」と断じ、新たな運営主体を探すよう馳浩文部科学相(当時)に勧告。政府は結局、新組織を示せず、廃炉を含め抜本的に見直す方針を決めた。

 もんじゅの安全性を長年議論してきた県原子力安全専門委員会の中川英之委員長(福井大名誉教授)は「長期間停止していたのは、施設の責任だけではない。ナトリウム漏れ事故後、もんじゅが社会に許容されるのかという問題を抱え続けた。国の体制にも原因があり、福島第1原発事故後は保守管理の不完全さばかりが焦点となって、再稼働や安全基準の再検討は放置された」と指摘した。


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