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原発共存の姿、揺れる住民の意識 原発の行方・第2章(11)

  • 2012年2月17日
  • 05:00
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曲折を経て建設が決まってから40年たつ大飯原発。福島の事故を受け、長く「共生」してきた町民の中にも意識の変化が芽生えている=2011年6月、福井県おおい町大島(福井新聞社ヘリから撮影)
曲折を経て建設が決まってから40年たつ大飯原発。福島の事故を受け、長く「共生」してきた町民の中にも意識の変化が芽生えている=2011年6月、福井県おおい町大島(福井新聞社ヘリから撮影)

 福井県おおい町は40年前、町を二分する事態になりながらも関西電力大飯原発の誘致を決め、苦労を重ねつつ原発との“共存”を通して地域は発展してきた。

 40代の自営業者は地元を調べる学識者に同行する中で、先人の努力を知った。物心ついたときには既に当たり前の光景として原発が町にあった。「当時の関係者から『町をよくするためには原発が必要や』という思いが伝わってきた。受け継いでいかないとあかん。原発を町の核にしてやっていかないと」と感じた。

 しかし、昨年3月の東京電力福島第1原発事故を目の当たりにして、そうした思いは「中ぶらりん」になったという。

 使用済み燃料の後処理問題が未解決な上、「人間がコントロールできない放射能を扱ってもいいのかという素朴な疑問」がぬぐえなくなった。大飯3、4号機で再稼働に向けた動きが進んでいるが「仮に動きだしても、どこかびくびくしながら、どこか重荷を背負いながら恐る恐るやっていくというか。胸を張って受け継いでいけない」。考え方は大きく変わった。

   ■   ■   ■

 一橋大大学院の橘川武郎教授(エネルギー産業論)は、東京大社会科学研究所と県が共同で2009年度から進めている「希望学プロジェクト」で嶺南の調査を担当し、「嶺南の個性」や「原子力の位置付け」について立地地域の商工会青年部のメンバーらとも意見交換を重ねてきた。

 「若い世代は生まれたときから原発があった。『共生すれども依存せず』という考え方が強く、原発の街と言われたくないという思いを感じた」と橘川教授。

 高浜らしさ、おおいらしさを代表するものは原発ではなく、観光の街、低炭素社会を実現する地域として生きる上で、原発は“従属変数”になっていくという意識を見たというのだ。

 実際、おおい、高浜両町は10年に県のモデル地域に選ばれ、「低炭素の街づくり」として大規模太陽光発電設備(メガソーラー)などの事業が進んでいる。「原発と共生する姿勢は今までと変わらない」(時岡忍おおい町長)が、再生可能エネルギーとも向き合いながらの「エネルギーの町」が目標だ。

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 おおい町南部で山間部に位置する旧名田庄村は06年3月、旧大飯町と合併し「準立地」から「立地」になった。

 大飯原発から名田庄地区中心部までは約15キロ。町商工会青年部の森口倫啓(みちひろ)部長(38)は「合併したからといって原発が近くに来たわけではない」と受け止めてきた。一方で、水道料金の引き下げ、防犯街灯の増設、子育て支援など原発による豊かな財政の恩恵も実感してきた。

 ただ「3・11」後の思いは複雑だ。「今までは絶対に安全という仮定の中で向かい合ってきた。そこは考え直さないといけない時期。ただ、原発立地のまちづくりを40年してきている。急に原発を止めれば、経済・雇用を含め地元がうまく回らなくなる」。子どもに原発は迷惑施設と思われたくないし、胸を張れる町にしたいとの気持ちもあるが「答え」はまだ見つかっていないという。

 「エネルギーに先進的に取り組むモデル地域になるのは非常にいい。うまくイメージチェンジしていく必要がある」。先の自営業者も、原発推進一辺倒ではない新たな方向性を探るべきだとの考えだ。

 「原発をどう位置付けるかでまちづくりは変わる。電気をばんばん生んで、電源3法交付金がばんばん入ってくるという今までのスタイルでいいのか」。今、意識や姿勢を変えないと、手遅れになるのではとの思いを抱いている。


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